当サイトをご覧くださりありがとうございます。 伝える技術育成プロデューサー・つだ つよし、と申します。
現在私は「伝える技術育成プロデューサー」として、下記の活動を行ってます。
・専門学校の学校長&会社経営者という立場で組織のマネジメント
・企業に対してモチベーションやリーダーシップに関する講演活動
・心理学の専門家としての知見をよしもと興業で磨いた話術で解説
・人前で上手に話せるようになりたい方々への講演・プレゼン指導
簡単な自己紹介をさせてください。
現在:5つの肩書きと毎回即満席の講演講座
私は今、5つの肩書きを持っています。
(1)タレント・レポーター(活動歴25年)
(2)メディア制作会社・株式会社ドリームプロモーション代表
(3)学校法人Z.A.C(ザイナスアカデミー)田北調理師専門学校・田北ビジネス専門学校学校長
(4)日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー
(5)講演家、講演・プレゼン指導
しかし今の私にとって何よりも嬉しいこと。
それは、講演やプレゼンの指導をさせていただいた参加者皆さんの表情が見違えるように輝き始める瞬間です。
お陰様で私は「笑い」と「喋り」によってここまで来ることができました。
しかし、かつての私は「笑い」と「喋り」の使い方を完全に間違えていました。
おんせん県生まれのポスト団塊ジュニア世代
昭和51年(1976年)、九州は日本一のおんせん県こと大分県大分市で私は生まれました。
中学生の時、モテたい一心で卒業後に芸人になる!と決意。
しかし、親から「高校だけは卒業しなさい」とたしなめられ、必死に勉強して県内有数の進学校である舞鶴高校へ入学することができました。
その高校を選んだ理由は、下心からのものでした。
ラグビーで有名な舞鶴高校でキャプテンとして花園に出場すれば芸人デビューの時に注目され、ブレイク間違いなし! と算段したのです。
思惑は外れ、私はキャプテンはおろかレギュラーにさえなれませんでした。
しかし、チームの勝利のためにレギュラー選手を支えるという役割の中に自分の存在意義を見出し、無事に卒業することができました。
今考えればこれが、モチベーションマネジメントや組織論の原体験だったと思います。
希望と挫折:モチベーションを維持できた理由
高校在学中からオーディションを受け始めていた私は、高校卒業と同時に飛び込みで福岡よしもとの者を叩きました。
今日からモテモテの芸人人生が始まる!
そんな私の期待が幻想に過ぎなかったことに気づかされるのに時間はかかりませんでした。
「自分よりめちゃめちゃ面白い人がいる…」
高校時代、私は学校で一番の人気者、ひょうきん者だと自信がありました。
しかし、プロの世界では簡単には太刀打ちできそうもない人が普通にいたのです。
正直なところ何度も心が折れかけました。
しかし、不思議とそういうタイミングで「大物」「師匠」と呼ばれる方々と仕事をする機会を与えられました。
そして、先輩方の大きな仕事ぶりに触れることでモチベーションを維持することができました。
「自分もいつか先輩のように大きな仕事をしたい。そのために今日すぐにでもできる●●をしよう」
この体験から私は次のことを学びました。
遠くの大きな夢と目の前の小さな行動のバランスを取ることが、モチベーションの維持の秘訣なのだと。
借金「370万円」失業&収入0円の大ピンチ
芸人の仕事が増え始めた頃のこと。
いつの間にか私は業界の常識(世間の非常識)に染まりきっていました。
「若い芸人は売れてなくても当たり前。」
「バイトはするな。」
「消費者金融から借金してでも遊べ。売れて返せば良い。」
利息を払うために次の借金をして、利息を返したら残りのお金で遊ぶ。
そんなことを繰り返して借金が400万円近くに膨れ上がった時、私はようやく我に帰りました。
「これはおかしい!」
その日からの私は、朝から晩までバイトをして借金を完済。
お笑いの世界で活躍することへの限界を感じていたこと。
一方で、複数のレギュラー番組を抱えていた自負心もあり、私はよしもとを辞めました。
ところが、よしもとの看板を失った途端に、私の元から仕事も人も去っていきました。
ここから2年間の収入0円生活が始まりました。
無から有へ:大分のテレビ・ラジオ全局制覇
よしもとを離れた私は気づかされました。
私は、よしもとの看板に支えられていただけだのだと。
しかし私には、失意のどん底に落ちているヒマなどありませんでした。
食べてゆくために仕事を取らねばならなかったからです。
とは言え、看板を失った私が出演できるテレビ番組などありません。
そこで私は発想の転換をしました。
企業を回ってスポンサーを集めてテレビの放送枠を買い、自分で番組を制作することにしたのです。
自分の出番を自分で作ろう! と考えたわけです。
私は「無」から「有」を作り出すことを学びました。
そしてついには、大分県内のテレビ局・ラジオ局全局で自分の出番を作り出すことができました。
衝撃の2時間:心理カウンセリングとの出会い
子どもの夢を応援する番組「ダッシュくん。」の制作を開始後ほどなくして、一人の不登校の児童と出会いました。
不登校を改善させたい一心から、私は高校のラグビー部時代に培った根性論をその子に叩き込みました。
しかし、その子に変化はあらわれませんでした。
そんな中、仕事でご一緒したスクールカウンセラーの先生からアドバイスをいただきました。
「子どもと関わっているなら、心理学や心理カウンセリングを学んだ方が良い」と。
私はただちに、日本一の心理カウンセラー・衛藤信之先生の講演を受講。
しかし私は、その講演を斜に構えて眺めていました。
ところが、衛藤信之先生が話し始めると会場の雰囲気は一変。
それは衝撃的な体験でした。
「笑い」や「喋り」への失望と新たなる誓い
心理カウンセラー・衛藤信之先生の講演で、初めは元気のなかった受講者の多くが元気を取り戻す姿を目の当たりにしました。
受講者の変化を目にした私は悔やみました。
私も心理学を学んでおけば、不登校の子を救えたに違いないと。
そして、私は悟ったのです。
それまで私は、「笑い」や「喋り」を自分のためにしか使っていなかったことに。
その日、私は自分自身に誓いました。
笑いや喋りを、これからは世のため人のために使っていく、と。
時代の転換期を乗り越える2つの「チカラ」
ダイバーシティー、SDGs。
今、時代は大きな転換期を迎えています。
その中で生き残っていくには「無から有を作り出すチカラ」が必要だと確信しています。
多くの人は「自分には何もない」「自分は何もできない」と言いますが、そんなことはありません。
私自身、レギュラー番組がないという状態から全局に番組を持てました。
誰しも本当は「無」ではないのです。
しかし「有」を作れたとしても、それだけでは不十分です。
「有」を社会に対して「伝える技術」がなければ「有」は「無」に等しくなってしまいます。
個人にも企業にも求められる「伝える技術」
情報技術の発達により、現在の情報量は10年前と比べて510倍とも言われます。
これからは個人や一企業がSNSなど複数のメディアを駆使して発信して行く時代。
そこには「伝える技術」が必要です。
無から有を作り出し、伝える技術を持って経済的にも精神的にも豊かになる。
このような個人や企業が一つでも増えることを願って、私は今、活動を続けています。
株式会社ドリームプロモーション代表
伝える技術育成プロデューサー
つだ つよし、